訃報

萩原健一 死去

ショーケンこと萩原健一が3月26日死去。享年68。もっとも密葬を終わらせてからの発表だったため、3月28日の発表になったそうです。そして当然やっぱりスポーツ新聞1面トップでした。

それがこちら、
20190329

ショーケン好きだったなあ。大麻所持とか交通事故とか暴力事件とか恐喝まがいとかで逮捕されたりして、結構滅茶苦茶な印象ですけど、それでもやっぱりカッコよかった。歌ってる姿もカッコよかった。

代表作としては、「太陽にほえろ」とか「前略おふくろ様」、「傷だらけの天使」が挙げられるけど、勿論それらも良いんですけど私の特に好きなショーケン主演ドラマは「課長さんの厄年」と「鴨川食堂」。とくに「鴨川食堂」はなんか泣けてくるんだよねえ。

良い役者でしたねえ。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

| | コメント (0)

ハル・ブレイン 死去

元レッキング・クルーの中心メンバーで、名セッションドラマーのハル・ブレインが3月11日に亡くなりました。享年90。

ハル・ブレインは膨大な数のレコーディングに参加していて、ロネッツ、エルビス・プレスリー、サイモン&ガーファンクル、ビーチ・ボーイズ、ママス&パパス その他数限りなくたくさんのレコーディングに参加しています。

056fcd29f2435feb9a59c928dda0c7a6e1455763

私が初めてハル・ブレインという名前を知ったのは、1984年の山下達郎サウンドストリートの大瀧詠一さんとの新春放談で、達郎氏が「かっこいいなあと思うドラムは全部ハル・ブレインだったからハル・ブレインが好き。だから一番好きなドラマーは誰がなんと言おうとハル・ブレイン」という発言を聞いて、その名前を初めて知りました。また現在BS-TBSで放送されている「SONG TO SOUL」という番組で頻繁にハル・ブレインが出てくる。この曲もあの曲もハル・ブレインが叩いているのかということを知るとその凄さがわかります。

以下はほんの一部ですけどハル・ブレインがレコーディングに参加した楽曲です、
コニー・フランシス
・『ボーイ・ハント』1961年
エルヴィス・プレスリー
・『好きにならずにいられない』1961年
・『心の届かぬラヴ・レター』1962年
・『おしゃべりはやめて』1968年
シェリー・フェブレー
・『ジョニー・エンジェル』1962年
カスケーズ
・『悲しき雨音』1962年
ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス
・『悲しき闘牛』1962年
・『蜜の味』1965年
クリスタルズ
・『ヒーズ・ア・レベル』1962年
・『Da Doo Ron Ron』1963年
ボビー・ヴィー
・『燃ゆる瞳』1963年
ザ・ロネッツ
・『ビー・マイ・ベイビー』1963年
ジャン&ディーン
・『サーフ・シティ』1963年
・『パサデナのおばあちゃん』1964年
ロイ・オービソン
・『It's Over』1964年
ザ・ビーチ・ボーイズ
・『サーファー・ガール』1963年
・『ファン・ファン・ファン』『アイ・ゲット・アラウンド』1964年
・『カリフォルニア・ガールズ』『バーバラ・アン』1965年
・『素敵じゃないか』『スループ・ジョン・B』『神のみぞ知る』『グッド・ヴァイブレーション』1966年
サイモン&ガーファンクル
・『冬の散歩道』『早く家へ帰りたい』『アイ・アム・ア・ロック』1966年
・『ミセス・ロビンソン』1968年
・『ボクサー』1969年
・『明日に架ける橋』『コンドルは飛んでいく』1970年
ママス&パパス
・『夢のカリフォルニア』1965年
・『マンデー・マンデー』1966年
スプリームス
・『恋にご用心(The Happening)』1967年
フィフス・ディメンション
・『ビートでジャンプ』1967年
・『輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン』『ウェディング・ベル・ブルース』1969年
カーペンターズ
・『遙かなる影』1970年
・『トップ・オブ・ザ・ワールド』1973年
バーブラ・ストライサンド
・『追憶』1973年

凄いドラマーだなあ。スタジオ・ミュージシャンという枠を超えて、ハル・ブレインという一つのジャンルになってる。そんな気がします。

ご冥福をお祈りいたします。合掌。

| | コメント (0)

ザ・デストロイヤー 死去

プロレスラーのザ・デストロイヤーが2019年3月7日(日本時間では3月8日)に亡くなったそうです。享年88。今日のスポーツ新聞にも1面で出てました。

それがこちら、
20190309

ザ・デストロイヤーといえば、フィギュア・フォー・レッグロック。日本では足4の字固めの方が一般的です。ただ私がプロレスに興味を持った1970年代の終わりころには、もう全盛期も過ぎていてどちらかといえばタレントとしての方が印象が強い。やっぱり何と言っても日本テレビで放送されていた「うわさのチャンネル」でしょう。スポーツ選手が今で言うバラエティ番組に出るようになった最初のころじゃないかと思います。よく当時の徳光アナウンサーに足4の字固め掛けてましたねえ。和田アキ子のゴッドねーちゃんも面白かった。限りなく自由な感じの番組でした。

また、たまたま今読んでいる「1964年のジャオアント馬場」という本にもレスラーとして、ザ・デストロイヤー登場します。こちらは現役バリバリのころから日本にやってくるあたりのことが詳しく書かれています。今回のスポーツ新聞の1面にも載ってる力道山に足4の字固めを掛けているときの様子も書かれています。このときは天井にテレビカメラをつけて日本テレビが放送したようです。

また大の親日家で2017年秋には外国人勲章の旭日双光章を受賞しているそうです。あれだけ体を酷使する仕事で88歳で逝去というのは、大往生と言っていいんじゃないんでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

それから、さきほど登場しました「1964年のジャイアント馬場」はこちらから。単行本と文庫本の両方でてます。

まずは単行本
Imagehtml

続いて文庫本
81rlrx5j1sl

これはかなり分厚くて読み応えあります。そして内容も面白いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

衣笠祥雄氏 死去

元広島東洋カープの鉄人 衣笠祥雄氏が4/23に上行結腸がんのために亡くなったそうです。享年71。急なニュースで驚きました。そして今日のスポーツ新聞にも一面トップで報じられていました。

それがこちら、
201804251

衣笠選手といえばやっぱり連続試合出場やあの豪快なスイングが思い浮かびます。また相当な音楽通っていうところも良いなあ。

そしてこのスポーツ新聞の中で印象的だったのがこの面です、
201804252

これ1975年のカープ初優勝の時のビールかけの写真だとい思います。この年は最初ルーツ監督で始まって、その後ルーツ監督が解任されて古葉監督になって初優勝でした。それまでの地味なイメージから脱却して赤ヘル軍団になったのもことの年から。いつもセリーグ順位表の4位〜6位あたりが定位置だった広島が、この年のオールスターで山本浩二、衣笠が大活躍で、後半戦そのままの勢いで万年Bクラスの広島がなんと優勝。この時は本当にびっくりしました。優勝を決めた試合は後楽園球場の巨人戦だったと思うんだけど。

そして優勝を決めた試合のスタメンがこちら、
201804252_2

良いメンバーだなあ。でもショートは三村なんだなあ。高橋慶彦はもう少し後なんですねえ。それと水谷が曲者で打つんだよなあ。なんかあの頃テレビで見てたのが蘇る。もっとも巨人戦だけですけどね。それと衣笠選手が国民栄誉賞受賞の時の、「まだ長嶋さんがもらってないのに、俺がもらって良いのかな」っていうコメントも印象的でした。

いろんな意味で個性的で凄い選手でした。こういう選手はもう出てこないかもしれない。

謹んでご冥福をお祈り致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

柳家喜多八師匠 死去

5月17日に、柳家喜多八師匠が癌でお亡くなりになったとの事です。

喜多八師匠が癌だったという事も知らなかったので、あまりに急なニュースにしばし呆然でした。本当に大ショックです。

喜多八師匠の落語を初めて聴いたのは、はっきり覚えていませんが、だいぶ前の柳家小三治一門会だったと思う。お題は「鈴ヶ森」。これははっきり覚えてます。もう面白くて面白くて、本当に笑い死ぬかと思ったぐらい笑いが止まらなかった。この時の笑撃は未だに忘れられない。

それから初CD発売の時のチラシが粋でかっこ良かった。それがこれ、
20060425

喜多八師匠好きだったなあ。「清く、けだるく、美しく」いつも楽しましていただきました。

ご冥福をお祈り致します。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山本功児氏 逝去

巨人、ロッテ、千葉ロッテで選手、コーチ、監督として活躍された、山本功児氏が亡くなられた。昨日サンウルブスの勝利で買ったスポーツ新聞の裏面に大きく報じられていました。

それがこれ、
201604242

山本功児選手が巨人に入団した時は、一塁は王選手がいたので代打とかが多かったような覚えがあります。王選手の引退後はレギュラーでしたけど、原選手が入団後は中畑選手が一塁にコンバートされ、なかなかレギュラーには定着できなかった。むしろロッテにトレードで移籍してからの方が選手としては活躍していたと思う。引退後は千葉ロッテ、巨人でコーチ、監督として活躍してました。

ただそんな中、山本功児選手といえば何と言ってもあの宇野選手のヘディング事件。そうあのショートフライを打ったのが山本功児選手なんです。そしてこのプレーでの宇野選手のヘディングも笑えますが、その後グラブを地面に叩きつけて悔しがる星野投手の様子も面白い。

おっと話が脇道に逸れてしまいましたが、素晴しき野球人だった山本功児氏、まだ64歳と若かっただけに残念です。

ご冥福をお祈りいたします。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Lemmy Kilmister 死去

モーターヘッドのリーダー、レミー・キルミスターが亡くなった。

闘病中であるとは報道されていたし、ライブも演奏途中で中止になったというライブがいくつもあったと言う事も報道されていたので、容態が良くないとは思っていたのだが、まさか亡くなるとは。この前アニマルが亡くなったばかりだったのに。

リッケンバッカーをかきむしる姿がカコいい。
Motorheadkilmistergetty
R.I.P Lemmy

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂米朝師匠 逝去

人間国宝 桂米朝師匠が昨日夜にお亡くなりになりました。享年89。

今日のスポーツ新聞一面も米朝師匠
20150320

1947年に四代目桂米團治に弟子入りして、その後瀕死の状態だった上方落語復興に取り組んでおられました。米朝師匠がいなかったら上方落語というものがなくなっていたかもしれない。と言っても過言ではないと思います。もちろん米朝師匠一人でやったわけではないけれど、中心的存在だったことは間違いない。

米朝師匠の落語は大好きでした。もっとも私が米朝師匠を知ったのは20数年ぐらい前なので、どちらかと言えば、晩年になるのかもしれない。ですんでもっぱらCDで聞いてました。落ち着いた上品な語り口で好きでしたねえ。

そして米朝師匠で印象的な落語会と言えば、2005年11月30日(水)に相模原市民会館で見た「桂米朝・柳家小三治 二人会」。平日相模原まで行きましたねえ。でももう10年近く前のことなんですねえ。
その時の模様はこちらから→桂米朝・柳家小三治 二人会

また桂小米朝が五代目桂米團治を襲名した際の、襲名披露時に拝見しましたが、その時は口上だけでした。
その時のよようはこちら→五代目桂米團治襲名披露

長い間ありがとうございました。そしてご冥福をお祈り致します。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

柔道の斎藤仁さんが亡くなられた。

オリンピック金メダリスト 柔道の斎藤仁さんが亡くなられた。

斎藤さんはロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピックで2大会連続で金メダル。特にソウルオリンピックは日本柔道としては唯一の金メダル。優勝した後のインタビューで「これで日本に帰れます」っていうのが印象的でした。また全日本選手権での山下選手との死闘。結局1回も優勝はできなかったけど、名勝負だった。

選手を引退した後は指導者として活躍されました。特に北京オリンピックで金メダルを獲得して、のちに総合格闘技に転向した石井慧を指導した。

享年54。まだお若いのに残念です。お疲れさまでした。

謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文太さん 死去!

11月28日に菅原文太さんが亡くなったそうです。今日ニュースに出てました。
健さんに続いて、文太さんまで亡くなってしまうとは。日本を代表する俳優の訃報が続きますねえ。

文太さんといえば何だろうなあ、やっぱり「仁義なき戦い」かなあ。この映画リアルタイムじゃないんですけど、第一作見たらもう面白くて第五作まで一気に見たなあ。主演の菅原文太はじめ金子信雄や田中邦衛、松方弘樹、千葉真一その他凄い俳優さんがたくさん出ていて、ものすごくエネルギッシュでギラギラした映画。もうこんな映画を撮れないよ絶対。

でも俺らの世代としてはやっぱりトラック野郎かなあ。リアルタイムだったし、デコトラのプラモデルとか流行ったもんなあ。まあ内容もすごくて、「仁義なき戦い」以上に今では絶対撮れない映画だろうな。本当にいい時代だったよなあ。

そして星桃次郎追悼の意を込めてこんなもん作って見た。
Photo

ただDVDのジャケット並べただけんだけど、その辺は気は心っていうことで。
星桃次郎よ永遠なれ!なんてね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧